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監査人との協議


経営者と会計監査人との合意形成

経営者は以上の観点で選定したキーコントロールを「評価計画」としてとりまとめた上で会計監査人に提出、協議する。実際上は、協議しながら取り纏めるということも十分に考えられる。

いずれの方法を採るにせよ、コントロールを「キー」とするのは「コンセンサス」(当事者の納得感の共有=監査人にとっては心証形成)であるから、二重責任原則の理解の下に経営者と監査人とがそれぞれの立場においてキーコントロールをめぐって真摯に臨むことが肝要であり、「経営者の主張」がないようなアプローチは回避すべきである。

コンセンサスを得ることは、すなわち社会科学の一般命題である、社会的合意を形成する行為に他ならず、合意という行為には独立当事者間同士の対話という前提があることは言うまでもない。

 経営者と監査人との期待ギャップ

コミュニケーションギャップ

経営者が監査人に抱く監査イメージと、監査人が実際に遂行する監査の機能のギャップは様々な形で現れるが、一つは経営者と監査人との協議時間が余りにも少ないこと、つまりコミュニケーション不足から発生していることは否めない。

もう一つは、それを補完する経営スタッフが監査に対して抱いているイメージが、監査人が考えているものと異なっていることにも原因がある。最も多いのが、「会計士了承済み」という決裁文書である。監査で決裁書を通査していると、重要案件の決裁においてはその会計処理について事前に経営スタッフと監査人とが協議するケースが多く、その協議結果を「了承済み」として社内で報告されていることがある。

社内の複雑な政治力学に対して監査という外圧を使うことは、経営者は時としては非常に高いリスクを負う。なぜなら、監査人は「現在与えられている想定条件の下では」という前提で会計処理について協議の場に出ているのであり、会社側もそれを了承しているという前提がなければ、そもそも、その協議は成り立たない。しかし、社内の報告で「了承済み」とされてしまうと、時としてその取引をすることを了承したと考える経営者もいる。取引実施を判断し承認するのは経営者の専権事項であって監査人が言うべきことではなり。もちろん法令定款違反等があればそれが決算に及ぼす影響を評価するのは監査人の責務ではあるが、あくまでも取引を実施するのは会社側である。

「了承済み」の中には、必要条件と十分条件とを混在するケースも多い。この会計処理が認められるためには、条件1、条件2、条件3が最低限必要で、他にもサポートすべき条件があるという形で協議したことが、「条件1から条件3が揃えば問題ない(十分条件を満たす)そうです」といって報告されるケースである。これは必ず後で「言った、言わない」の問題になる。そういうことが何回か重なると、監査人は発言に慎重になり決算案が出てくるまで明確な判断を示さない態度を示すことになる。

そうなると会社側はいつまでも会計処理が定まらず、監査意見の形成も遅れがちになる。二重責任の原理の一端である会計処理は唯一会社経営者の責任で行なわれるものであるという前提をしっかりと確認しておく必要があるだろう。

レベルギャップ

内部統制評価報告制度で最も誤解があるのは、ここである。これは、(1)経営者が組織に要求するレベルと、(2)監査上必要な最低限度のレベルと、(3)組織が考えている業務上必要なレベルとの関係が狂った際に、誤解が発生する。

先ず、(1)経営者が組織に要求するレベルと、(2)監査上必要な最低限度のレベルとの関係が、

(1)>(2) ・・・・?

であれば健全で問題ないのだが、逆転している状況であると財務諸表監査が成立しない。内部統制監査も「重大な欠陥」に至る可能性が高いだろう。したがって、以降は健全な状態を前提に議論を進める。

問題は、(3)が不等式?のどこに入るかである。

(3)>(1)>(2)・・・・?

となった場合の経営者はよいスタッフに囲まれ幸福である。経営資源の関係から制約を加える(例えば、金銭的、人的予算を削る)ことで(3)が(1)に近づくような指示を出せばよい。内部統制の整備運用に当たっては、このバランス感覚によるよりリスクの高い分野へのリソース配分は大事なポイントである。

しかし、

(1)>(2)>(3)・・・・?

となると大変なことになる。経営者の期待を満たしていないだけでなく、監査上も問題があるケースである。この場合は、経営者と監査人とが真摯に協議して、経営スタッフのレベルが経営者の期待水準を満たしていないだけでなく、監査も通らないかもしれないことを認識して、経営者の善処を期待するしかない。こういうケースは、往々にして社内のコミュニケーションが悪く、経営者が組織の実態を把握しきれていない場合に起こり得る。ここで経営者が「うちの会社はそんなにひどくない」というケースは、?の可能性も高い。

通常は、

(1)>(3)>(2)・・・・?

となるケースが多い。もちろん全体的にそうであるというよりも、部分的にそうなっている場合があるというほうが正確である。しかしこれは経営者にとっては不幸である。監査人は「特に問題はありません」という報告をするか、「問題事象はあったが監査上で目くじらを立てるような問題ではない」という報告をするだけである。特に、経営スタッフが監査を通すことを第一目標にしているようだと、経営者は本当に自己の要求スペックが満たされているのかどうかについて、他の方法を使って検証しなければならない。それが本来の内部監査の機能であるということなのだが。

つまり、経営者も監査人も自ら証拠を得て判断するという基本原則が必要なのであり、ここにも二重責任の原理が確認されるべき所以がある。

役割ギャップ(監査人の独立性と助言)

経営者の立場から「うちの会社に問題があれば指摘してください。改善すべき点は教えてください。」という前向きな発言はよく出てくる。しかし昨今、監査人の独立性に対する世間の見方が厳しくなってきていると言われ、監査人として保守的な対応を余儀なくされているのは忸怩たる思いがある。

監査には元来、「批判的機能」と「指導的機能」とが並存しているものとされている。これは、二重責任の原理と同様に監査論の世界では公理的常識であろう。そもそも「指導的機能」を発揮しない「批判的機能」だけで監査が成立するのだろうか甚だ疑問を感じずにはいられない。国家権力によって行なわれる刑事捜査でも不正摘発でもない監査は、監査人と経営者との間で取り交される民事契約に基づいて行われるものだ。

いったいそこで言っている「世間の見方」とはどこにいるのか、企業は世間を構成しないのか、監査人側の対案の提示はないのか、そのあたりを再考しなければ、監査で培われた能力が眠ってしまい社会的損失になってしまうことを危惧する。


※ちょっと一言
  • この章は、内部統制監査制度において、先鋭的なテーマとして現れてくると思います。批判的機能を重視すると、やっぱり、ダイレクトレポーティングの方が無理がないような気がします。日本の内部統制監査は、ダイレクトレポーティングではないため、協議の質と量が、成否を分けるところがあると思います。 - shibayan (2008年04月14日 01時55分13秒)
  • 批判的機能を強調しすぎると指導は誰がするのかという問題が発生します。指導的機能を強調しすぎると判断が鈍って独立性に影響を及ぼすと考えられていますが、本当にそうなのでしょうか。会計に関するリソースが限定されているなかで、監査人の批判的機能だけが強調され指導的機能は別の人(コンサルなど)が担ったり、指導機能の議論を全くしないままアンチテーゼとしての独立性を強調するばかりの結果が、監査人を(いわゆる)保守的にさせ、内部統制制度対応の準備段階における混乱を招いているのではないでしょうか。それは「1/11の誤解」ではなく誤解の前にある0番目の誤解(先入観)ではないでしょうか。議論の与件こそ疑ってかかるべきでしょう。ちなみにエンロン事件の被告となった某事務所は無罪評決でしたが失われたものは戻りませんね。 - なわ (2008年04月20日 09時31分43秒)
  • ある意味、監査人にとっては批判的機能が強調される方が気楽なのでは。批判は誰でも出来るけど指導はそれなりの力が要りますからね。 - なわ (2008年04月20日 09時38分42秒)
  • 経営者のアカウンタビリティに対峙する概念が監査の批判的機能であり、経営者のアサーションに対応するのが監査の指導的機能かも知れませんね。もう少し考えて見ます。 - なわ (2008年04月20日 09時42分14秒)
  • 監査人にリスクを転嫁できないのが、内部統制監査だとすると、リスクの識別に関する理解のベースをあわせていくことは、批判的機能を健全に機能させることにもなるのでは?とも考えています。 - shibayan (2008年04月23日 16時36分25秒)
  • そうですね。少なくともリスク認識について監査人が会社を指導禁止とはならないでしょうね。上記は、批判的機能ではなく、指導的機能? - なわ (2008年04月26日 14時55分43秒)
  • 「気づき」という言葉がいいかもしれません。目から鱗が・・・みたいな。 - shibayan (2008年04月29日 10時04分32秒)

※ちょっと一言
  • 一体監査において、コンセンサスを得た監査人と経営者はリスクの補足において、写し鏡か双子のようになるとい点において、日本の監査の歴史上、内部統制監査の初年度は画期的な年となると思います。 - shibayan (2008年03月13日 20時41分22秒)
  • そうなんですよね。「問題を早く言え」という経営者の意図は会計処理の次元ではなく - なわ (2008年03月16日 07時37分44秒)
  • (続き)リスクの段階で言ってくれれば対処できたのに・・・ということですね。でもあくまで二重責任の原則がありますが。 - なわ (2008年03月16日 07時38分29秒)
  • この「評価計画」は、最近だと「内部統制基本方針書」という名称で一般化しているみたいです。 - shibayan (2008年03月16日 23時45分06秒)
  • そもそも論で恥ずかしいのですが、コンセンサスを得るコミニュケーションのツール(方法論)ってないんでしょうか。コミニュケーションのための時間を節約できることが、一体監査の効率性を進める唯一の手段かと思っています。 - shibayan (2008年03月20日 13時49分25秒)
  • ありますよ。会社のスタッフがきちんと基礎から統制概念について勉強することです。他方監査人も会社の業務について熟知することです。監査人と経営者が目線を合わせることができればそれ自体コンセンサスといえます。逆に、監査人が低いレベルに目線を合わせると、「経営者は会社のリスクについて熟知している」という前提は採れなくなります。ここのところが実務の世界ではよく理解されていないですね。 - なわ (2008年03月20日 15時35分29秒)
  • 一流の経営者・監査人は、会社の業務を十分に理解し、それぞれの立場で統制環境に関して判断力を持った人ということになりそうですね。 - shibayan (2008年03月20日 20時12分10秒)
  • 監査人は当然ですが、経営者に全てを要求できないとすればそういうブレインを抱える資質が必要ということになります。統制環境にTone At The Topという概念があるのは納得できますが、そこは内部統制というより外部統制(コーポレートガバナンス)によって実現されるべきものでしょうね。 - なわ (2008年03月21日 13時21分09秒)

【本文脚注】


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